ゴマサバ・デル・エジプシャンマウ

我輩は猫であります。名前は「ゴマサバ・デル・エジプシャンマウ」っていいます。 僕の母さんが、「宅老所 よりあい」で作ったお昼ご飯の記録です。

立帰天満宮

2013正月 平成25年


立帰天満宮、今年も31日の夜の火焚から、正月行事が始まりました。
今年は、31日~1日にかけての初参りの人出が、とても少なくて 張り切ってスタンバイしていた町内の有志の奉仕者のかたがたもちょっぴり気抜け。でも寒さと眠さの中、2時まで頑張っていただきました。有りがたいことです。3が日は交代で、社務所に詰めて、お神酒をふるまったり、お札を販売したり、みなさまご苦労様でした。
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さて毎年仕事初めに ご参拝の 内藤工務店さん、今年も賑々しくおいでいただきました。
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総勢50人で 1月4日 9時に そろってご参拝いただきました。
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鵜来見亭 ランチ

福岡市中央区西公園内
鵜来見亭 751-2308

今年も立帰天満宮6月の月並祭の 直会に鵜来見亭に出かけました。
1050円のランチ、魚が 超新鮮で、仲居さんのサービスもてきぱき。天麩羅も熱々。味噌汁と茶碗蒸しも熱々。1000円とは思えません。窓の外の新緑もすがすがしく、ゆっくりおしゃべりできました。星は
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6月度 月並み祭礼の 直会(なおらい)

鵜来見亭 1050円の昼食 1階のいけすの前を通って
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本日は1050円のコース  刺身(鮭・雲丹・甘海老・帆立) 煮物(鶏・大根) てんぷら
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茶碗蒸し・味噌汁・シャーベット
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折り紙の達人 平木氏がチョイチョイと折ってくれた かえる
立帰天満宮にピッタリ  百合の花の変形でしたヨ
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ノンアルコールのビールを頂いて 「合コン!」と盛り上がりました。
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4月の月並祭

立帰天満宮では毎月25日に月並祭をしています。氏子など15~20人が三々五々集まって、境内社務所等を清掃し、神事(祝詞玉串奉てん)のあと、直会(なおらい)をします。本日は、ゲストに舞踊家の お2人がおいででした。

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巽 慎之介さん
シン・ダンシング・プリーズ主宰 早稲田大卒・東映演技研修所卒の経歴
博多区祇園で活動中の 若いダンサーです。
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静香さん シン・ダンシング・プリーズの副代表
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2人の息がピッタリのダンスをすぐ前で鑑賞。エネルギーをもらって 参列者の熟年たちはすっかり若返りました。
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94歳のOさん。今日もお得意の♪ショウサイさんのおもいつき♪を一節

立帰天満宮4


カエルカエルカエル無事に立帰る天満宮との信仰から出征兵士の祈願が多かったそうです。
昨年の正月に参詣の お年寄りからこんな手紙をいただきました。


比島戦線である三中先輩の想い出
M上N雄  大正9年1月23日生まれ

昭和20年4月上旬の頃、比島ルソン島山岳州バギオ市の日米決戦のさなか
(日本軍最大拠点4月26日米軍に占領され、以後山下軍隷下 全員後方奥地へ撤退を重ね玉砕寸前停戦となる)この地、パニスホテルの下の小生たちの小さな防空壕に訪ねてきた人こそ、三池中学第12回卒の 鳥越邦夫先輩だった。
(これより彼れと書く、弟が吾々同級生の 故鳥越綱吉君)
彼れとは小生、S18年渡比、三井鉱山マンカヤン銅山勤務で 同じ職場で働いておった仲間だったが、20年1月米軍上陸から別れ、いつかバギオ防衛軍に現地召集されておった。(支那事変下番の下士官だった)
小生を訪ね見えたのは 別れの挨拶だった。
「愈々俺も近く斬り込みに行く、そこでお前さんはかねてから、身に何もつけておらんだったので ①お守札 ①糸巻きをやりに来た。この札は大牟田の親父が 九州でも特に有名な「立帰天満宮」と云うお守りであるとして持って来たものだ。糸巻きは7~8cm木板菱形に木綿糸を巻きつけてあったもの。これは妹が手渡したものだ。
この2つを身につけて頑張れ」と云われ、辞退したが受け取った。
(帰国して立帰天満宮なるものを知り、この時点では知らなかった)
そしてお互いの武運を祈り、砲火轟く夕闇の中別れた。これが最後の別れだった。
それからいくばくも無く、彼れはバギオ戦線で斬り込み戦死された。
小生も4月4日バギオ脱出し、重畳たる標高2920mルソン島最高峰のプログ山系に向けて 敗走につぐ敗走の中、約90日間に及ぶ地獄をさまよい、九死に一生を得て停戦。山を下る。その間一瞬たりとも放さず「立帰天満宮」お札を身につけており 天運と神仏の加護により生還した。そしてこの2つは、内地に生きて帰る事が出来たら必ず御家族に返すと決意しておった。
ところが残念乍ら この札を捕虜収容所の入口の身体検査で 黒人兵士にとられてしまった。このときばかりどうしようも出来なかった。
糸巻きは其れから1年四ヶ月のP.W.生活中も大事に保管しておった。
S21年12月末 年の暮れに名古屋上陸。熊本の故郷へ帰る途中、大牟田に立ち寄り初対面の彼れの親父さんに会う(大牟田の昔に変わる無残な街を探した。駅の裏におられた)
そして戦死されたことを報告した(此の時まで未だ戦死公報は届いてなかった)
亦妹さんも元気だった。糸巻きを渡した。驚いておられた。
戦死の引導を渡した時は本当につらかった。だが後日、鳥越邦夫先輩の墓に小生持参の糸巻きが遺骨代わりに納棺されておると聞き、これで小生の任も終わった様う安堵を覚え今日に至っております。
思えばあの熾烈なる戦況下に生を得たのも、三池中学のよき気風の中の先輩、後輩の絆がしっかり守ってくれたものと、今更乍ら半世紀をすぎた往時を偲び感慨一入です。
今は福岡に住みつき、毎年新年元旦に必ず立帰天満宮に参拝し、生還の報告と先輩の霊安かれと詣でております。


 

立帰天満宮3

カエル御縁起カエル
立帰天満宮は 文神菅原道真公を主祭神とし これに地主神たる 山王神を併せ祀り
神さぶる荒津山下の菅原神社として 内外の信仰と世人の尊崇とを 集させ給うた霊社であります
そもそも本社の御神体は菅神お手作の尊像におわしまし 元禄五年 筑前御笠郡(今の筑紫郡)武蔵寺村森天神の境内より発掘され給うた 御木像で これを武蔵寺のほとりに祭祀して森天神と申し奉り 同じ元禄の末頃 武蔵寺の本寺たる荒津山麓源光院内に御遷座申し 山王社の相殿にまつり 霊験あらたかとして神徳弥高く 御山の天神様として 崇敬者日に月に多きを加えて参りました
島原の乱の起こった時 祈願をされて出陣した黒田武士が無事に立帰り(凱旋)ました関係から 菅原神社は文神であると共に武神であらせ給うと感激し それ以来 武人の信仰が厚くなり 旧藩時代の長崎警備(黒船防衛)に立ち向かう武士 加子(船頭や水夫)などが必ず詣り 心から武運の長久を御祈り申し上げたものでございます
その人たちが 立帰ってから無事に立ち帰った喜びを そのままに いつとはなしに立帰天満宮と申し上げ 特別の尊崇を捧げるようになりました
従って平和のときの旅行 旅立ちは勿論 戦時下の出征 出動などに祈願をこめ 学問の神様たる御神徳の外に旅するもの 出征するもの 仕事をするものの 身の幸を護らせ給いそれ等のものが功成り名遂げてつつが恙なく立帰ることに 無窮の御神威を顕せられ 霊験
赫々 日本唯一の立帰天神として 世に聞え崇敬者全九州に及び遠く中国、四国、近畿地方からの参拝者も多く 文武 交通 勝利 成功の神様として尊崇され このささやかなるおやしろ御社におちこち遠近の賽者が絡澤として御詣りするようになってまいりました
御霊威の尊厳まことに恐しとも畏れ多き極みでございました


 カエル福岡県福岡市西公園
 カエル荒津山の下霊社
 カエル立帰天満宮社務所
 カエル大祭  1月7日   7月24日(夏祭り)

弘法大師堂

天満宮の境内に大子堂があります。
弘法大師をお祀りしたお堂です。

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福岡市新四国第72番札所
毎月21日が 祭礼。午前9時より近隣の者が集い
般若心経を唱えております。
どなたでも 参加できます。お待ちしてます。


戦前は西公園8番に有ったお堂に、毎月「21日講」が開かれ、大きな木製の数珠を参加者全員で、念仏と共にグルグルと廻していたらしいです。いつしかその数珠は紛失し、昭和36年ごろ、ここ天満宮の境内に移設されました。

大祭は8月21日.11時より
東長寺よりハンサムなお坊様が御出で
供養をしていただいています。
どなたでも参加できます

立帰天満宮2

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保存樹の槙の木
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手水場も平成10年に改築。古い手水場の屋根から、寄贈者の出征祈願の札が出てきました。お届けすると、ご家族が大変喜んでくださいました。
大戦中は出征兵士の無事帰還を祈って、参拝者が曳きも切らなかったそうです。
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昭和 年12月吉日と隠れてよく見えません
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手水裏側には寄進者のお名前


入口にある市の観光案内板
立帰天満宮         

菅原道真を祀る
社伝では武蔵寺(筑紫野市)の境内にあったが元禄年間(1688~1703)
荒砥に移したといわれる
港に近く藩船の船乗りに信仰された
明治20年この地に社殿が建てられ漁業航海関係者に参詣されるている
境内には新四国札所 大師堂がある

       

菅原道真を主神とし地主神 山王神を併せ祀り 荒津山下の菅原神社として内外の信仰を集めていましたが 島原の乱の折祈願をこめて出陣した黒田武士が無事に立ち帰ったので 文神ばかりか武神でもあられると それ以来
日本で唯一の立帰天満宮と尊崇をうけるようになりました
縁起によるとご神体は菅公御手作りの木像と伝えられ 元禄5年三笠郡武蔵寺の境内より掘り出されやがて荒津山麓の源光院を経て 現在の社に祀られるようになりました
学業の神様たる御神徳は勿論のこと 航海 国内外旅行 家出人 出張 失せ物など すべて無事立ち帰ることに 無窮のご神威を顕せられ霊験あらたかと 遠近の崇敬者が多くご参拝いただいております


所在地  福岡市中央区西公園10―7 鎮座

祭 祀  月並祭 毎月25日
     元旦祭 元 旦
     大 祭 1月 7日
     夏祭り 7月25日


立帰(たちかえり)天満宮

弐の鳥居
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所在地:福岡市中央区西公園10-7
西公園の大きな坂を登った左側に鎮座

一の鳥居の奉納者の名碑文
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二の鳥居 寄付者名 石碑
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上記のすぐ上にある 県立公園設立の碑文
光雲神社の西側にも 開創荒津公園碑があります(明治25年)
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参道表示石  昔は付属小学校横の 小道にあったもの 道路工事で移築
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現宮司は 石津美智子氏
例祭は毎月25日・ 大祭は1月7日と7月25日

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石段を下ったところに神社が鎮座するのは珍しいと疑問をお持ちの方もいらっしゃる事でしょう?
実は昔は、西向きに建っており、西側の石段を上った所に建っている形だった由。
ある時、神殿の向きを東向きに替えたらしくて その理由は今となっては不明です。
今でも高齢の方が、「昔は反対向いていた」とおっしゃいますので、70~80年ぐらい前までは、西向きだったらしいです。
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美しい緑の中、階段を下ると、神殿と社務所があります。
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神域と拝殿はつながっています。

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        狛犬は明治29年奉納

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神牛の奉納は 明治30年9月吉日
平岡なみ子
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石工 廣田正蔵は 廣田弘毅の父
福岡市中央区天神にある、水鏡天満宮の1の鳥居の「天満宮」の字は、弘毅少年の筆というのは有名な博多の話です。ちなみに廣田家の菩提寺は博多区聖福寺。立派なお墓ですよ。

下は 井戸の縁石。井戸を社務所改築時に埋め戻し、縁石のみ残っています。
井戸の縁石の前は、別の碑文だったのかもしれません
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 祝北征凱陣・敬以奉・?廟 
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日露戦争の戦勝記念か?
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百度石 2の鳥居前にあります
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奉納 九州史苑社
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金婚式

朝日天満宮の月並祭です。
神事の後の直会(なおらい)で、世話人ご夫婦の
キラキラ金婚式の心ばかりのお祝いをドキドキ大しました。
祝天皇・皇后陛下と 同じ年の同じ月に
博多帝国ホテルで挙式なさったそうです。
拍手おめでとうございます。
手作りのケーキに、天満宮の神刀ならぬ 包丁で、ケーキカット
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